【ブログの表示について】

◎エラーが出て碁盤が表示されない場合
「Javaのセキュリティレベルを「中」にする」
方法1 「スタート〜コントロールパネル〜Java〜セキュリティ」
方法2 「スタート〜すべてのプログラム〜Java〜Configure Java〜セキュリティ」

◎碁盤や文字を大きくしたい場合
「画面の表示を拡大する」
方法1 「Internet Explorer上部の「表示」〜拡大」
方法2 「Ctrlキー+マウスホイールを奥に動かす(上方スクロール)」
※いずれもリロード(最新の状態に更新)してください。

2013年08月31日

黒田俊節2

『秀栄全集』 〈明治10年6月16日, 於浪花〉

    林   秀栄
先番 黒田 俊節

203手 黒3目勝










白14は16の調子を求めました。
黒17が冷静な好手です。
白32・34はいかにも重い手。若い頃の秀栄には、後年の「明るい碁」というイメージとは真逆の、こうした手がよく見られます。
黒63まで、黒順調です。
黒73は良さそうな手。遠く中央の白をにらんでいます。
黒85〜89が厳しい攻めです。右辺の白は無条件では生きません。
黒119・125と生かし、黒131に回って収束しました。

前局はひょっとして、俊節にとって数年ぶりの真剣勝負だったのかもしれません。
2局目にして、早くも往年の力を取り戻した感があります。
posted by 時代 at 20:35| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月30日

黒田俊節1

『秀栄全集』 〈明治10年6月9日, 於浪花〉

先番 林   秀栄
    黒田 俊節

99手 黒8目勝










黒田俊節を紹介します。
幕末から明治維新にかけては激動の時代でした。
幕府の庇護を受けていた家元や棋士たちは職を失い、囲碁をやめる者も出ました。
俊節は天保10年(1839)生まれ。服部正徹門下で五段まで進みましたが、やはり20代後半から30代までの間、囲碁から離れていました。
紆余曲折の後、大阪に碁会所を開いて暮らしていたところ、家元の俊英である林秀栄五段が来阪し、互先で十番碁を打つことになりました。
時に俊節38歳、一世一代のチャンスです。

黒31〜35は適切で、黒簡明な布石です。
白48と打ちこむよりありませんが、むしろ打たされた感じです。
現時点では黒はっきり良さそうですが、もう少し見たいところです。

なお、底本として旧版の『秀栄全集』(明治44, 昭和8再版, 斯文館)を用いています。
最近の誠文堂版は持っていません。
手数・手順等に違いがあるかもしれません。
posted by 時代 at 17:20| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月29日

慶安・寛文四傑(哲齋・玄齋・如清・因策)20

『爛柯堂棋話』 〈於京都妙蓮寺〉

   中坊 哲齋
先 板垣善兵衛

160手 白2目勝










哲齋−善兵衛戦の続きです。
黒11以下は常用の形ですが、この配石ではピンときません。
白40の動き出しが意表をつきました。黒35では手堅く取っておくのでしたか。
黒55は沈着な手ですが、これなら白56・58で不満なしと見ました。
白100まで右辺を固めて有望でしょう。
白132が決勝点です。

前局は善兵衛の快勝でしたが、本局は哲齋が雪辱しました。
本局について、『異本 爛柯堂棋話』に次のような話があります。(『囲碁名著選集 解説書』による)

善兵衛が京都滞在中に、近衛殿下の知遇を得ました。
善兵衛は哲齋と対局することになり、5目勝・12目勝と2連勝したところ、殿下はたいそう喜び、善兵衛に「もう1局勝ったら召し抱えよう」と申し出ました。
ところが善兵衛は、公卿との付き合いに縛られることを嫌い、わざと負けて京都を去ったということです。

これが本当であれば、本局は善兵衛がわざと負けた1局ということになります。
上記の話の真偽は確かめようもありません。本当の話なら、善兵衛は後代に剃髪を嫌って御城碁を辞退した太田雄蔵に通じる粋人ということになりますね。
あるいは単なる負け惜しみかも。善兵衛は当然勝ちにいったのですが、プレッシャーから手が伸びずに敗れてしまい、後で「いや〜公卿なんてまっぴらだから、わざと負けてやったよ」なんて言い訳したのでは。
どちらが真実なのか、棋譜からご判断ください。

以上で慶安・寛文四傑はおしまいです。
棋力もさることながら、4人のそれぞれ個性あふれる打ち回しが印象的でした。
随所にかいま見える、道策に通じる新しい感覚を感じ取っていただけたでしょうか。
「道策は一日にして成らず」
道策は、名人算知や師の本因坊道悦よりもむしろ慶安・寛文四傑から多くのことを学び、それを自分のものにすることによって道策流を完成させたのではないかと考えています。
posted by 時代 at 19:07| Comment(0) | 哲齋・玄齋・如清・因策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月28日

慶安・寛文四傑(哲齋・玄齋・如清・因策)19

『爛柯堂棋話』 〈慶安5年4月6日, 於近衛殿下〉

   中坊 哲齋
先 板垣善兵衛

241手 黒12目勝










最後は哲齋−善兵衛戦です。
板垣善兵衛は本因坊算悦門下。おそらく当時六段で、後に上手に昇ったとも言われ、道策に先で勝った碁もある実力者です。
この対局には面白い逸話がありますが、それは明日のお楽しみ。

黒11まで、典型的な本因坊流VS安井流の布石です。
黒47が厳しい打ち込み。黒53までリードを奪いました。
さらに黒63が大きな手。これで下方を両方シノゲば黒勝ちです。
白は必死に紛れを求めますが、危なげなく黒完勝となりました。

本局からわかるように、善兵衛は慶安・寛文四傑と肩を並べる実力者でした。
同時期には他に青木愚碩・法橋現碩・杉村三郎左衛門といった棋士がいて、いずれも五〜六段であったと思われます。
家元以外の棋士は江戸時代屈指の層の厚さを誇り、知られざる黄金時代だったと言えるでしょう。
posted by 時代 at 19:54| Comment(0) | 哲齋・玄齋・如清・因策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月27日

慶安・寛文四傑(哲齋・玄齋・如清・因策)18

『碁経連珠』 〈万治年中か〉

   中坊 哲齋
先 蔭山 如清

197手 黒中押勝










哲齋−如清戦は互先で如清2勝です。
黒9のコスミはこれまでにも何局かありました。
黒19のケイマジマリは、この時代には珍しいです。如清は布石に工夫をこらすタイプです。
右下は黒つらい生き方ですが、生きる前に黒55で様子を聞き、白56・黒57を打たせたので我慢しました。
白78まで、白打ち回して有望と見られます。
黒は形勢容易ならずと見て、黒121以下左辺にコウを仕掛けました。
白146はコウダテを考慮した手ですが、それでも意外に白のコウ材が難しいです。
白160のコウダテに対して、黒161がすごい反撃でした。白64の1子をちぎってすべて持ち込みにさせ、難局に勝利しました。
posted by 時代 at 18:44| Comment(0) | 哲齋・玄齋・如清・因策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。