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2013年11月30日

裨聖会23

『裨聖会棋譜』
第23局 〈大正13年2月3日,10日,17日〉

    雁金 準一(8勝2敗1ジゴ)
先番 瀬越 憲作(5勝5敗1ジゴ)

97手 黒中押勝










白20はL16カケが穏やかです。
黒37が適切な荒らしです。
黒49・51が厳しく、戦機をつかみました。
白86で生きだけはあったようですが、すでに勝ち目なしと見て投げ場を求めました。

瀬越は最終局で勝ち越しを決めました。
ラベル:雁金 瀬越 裨聖会
posted by 時代 at 17:56| Comment(0) | 裨聖会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月29日

裨聖会22

『裨聖会棋譜』
第22局 〈大正13年1月6日,13日,20日,27日,30日,2月2日〉

    雁金 準一(7勝2敗1ジゴ)
先番 鈴木為次郎(5勝5敗)

204手 白中押勝










白6・8は雁金の好きな布石で、生涯にわたって打っています。
黒29から難しい戦いです。
白40は俗で、E17カタツギが本手でした。
黒47が華麗な手ですが、白も48から強引に突破しました。黒はシボったものの断点が多く、微妙です。
黒87に回ってはやれそうです。
白94〜98は疑問。実戦のようになるなら、白94はいかにも悪手です。また、白96と単にオシ、白98ではなくM17逃げ出しも有力です。
黒113は121(O14)オシを決めるのが手順でした。後から黒121とオシたのをとがめて、白122以下三目を捨てたのが機敏で、白優勢になりました。

打ち掛け5回の大熱戦でした。
消費時間は実に、雁金15時間1分、鈴木15時間51分です。
ラベル:雁金 鈴木 裨聖会
posted by 時代 at 22:27| Comment(0) | 裨聖会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月28日

裨聖会21

『裨聖会棋譜』
第21局 〈大正13年1月6日,20日,27日,30日〉

    瀬越 憲作(5勝4敗1ジゴ)
先番 高部 道平(2勝8敗)

266手 黒3目勝










リーグ戦も残すところ各2局となりました。

白6〜12は瀬越らしい工夫です。
白28以下、コウがらみの難解な攻防です。
黒65まで面白い振り替わりです。結果は、局面がせまくなった分だけ黒不満ないでしょう。
黒73〜79は少しぬるいですが、形勢よしと見ています。
黒85はスキがありますが、これはむしろ白に手をつけさせて形を決めようという意図でしょう。
黒105〜113となっては黒優勢です。

2番手の瀬越が敗れ、雁金の優勝が決まりました。
ラベル:瀬越 高部 裨聖会
posted by 時代 at 21:36| Comment(0) | 裨聖会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月27日

裨聖会20

『裨聖会棋譜』
第20局 〈大正12年12月2日,9日,16日,23日,30日〉

    瀬越 憲作(4勝4敗1ジゴ)
先番 鈴木為次郎(5勝4敗)

171手 白時効勝










黒29・33は鈴木らしいですが、ややぬるい感じです。
白68となっては白成功は疑いありません。
黒95は形勢悪しと見た勝負手です。
黒131まで黒得したものの、形勢は微細です。
最後、黒は16時間を使い切って時間切れ負けとなりました。おそらく黒171の考慮中に切れたものと推測されます。現代であれば白170手完となりますが、記録通りとしました。

【高部道平と裨聖会の思い出 8】 雁金準一
 尚「裨聖会」という字源は、唐の「西京雑記」という著書の中に「聖教を裨益する」という文から選ばれたもので、その意味は俗に言えば「つまらぬ事をするより、碁を打って居れ」という事であろう。
 この様に高部の企画が、最初の筋書き通りの成功とは言えない迄も、同氏が本因坊家という旧家元の中に有りながら、その総帥である本因坊秀哉を出し抜き、当時尚敵国と目されていた方円社の連中と握手して新企画を発表し、世の喝采を拍し秀哉名人の狼狽ぶりを眼のあたりに見て、定めし得意の事であったと思う。
 併し彼の策のある処必ずしも斯くの如く順調に運ぶ事は稀れであり、反ってこれが短所ともなる事に気付かなかった為後年周囲の人々がその策を嫌い、一人退き二人抜け、最後迄残った私も高部の謀略の火の粉を数度に渉って浴び、遂には袂を分つに至ったが、これ又已むを得ぬ運命であった。
 同氏は後年棋正社の機関誌「碁」の編集を多年していたが、昭和十六年遂に棋正社も同氏一人となり、今度の大戦が烈しくなってからは、京都、岐阜と転々とし最後には東京に落付いたが昭和二十六年秋不遇の中に七十才で歿せられた。
ラベル:瀬越 鈴木 裨聖会
posted by 時代 at 20:19| Comment(0) | 裨聖会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月26日

裨聖会19

『裨聖会棋譜』
第19局 〈大正12年12月2日,9日,16日〉

    高部 道平(2勝7敗)
先番 雁金 準一(6勝2敗1ジゴ)

218手 黒1目勝










白20は大胆すぎる趣向です。白40となれば白も打てそうに思えます。
黒41は自信の一着ですが、対して白42〜46は才気あふれる手。
白68まで、とくに難しい手を打っていないのに碁にしてしまいました。
白92の時点で、白はっきり残りそうな形勢です。
白98・100が余計な手で、リズムが狂い始めました。
白110では111ナラビが固かった。黒は111から必死に寄りつき、かろうじて抜き去りました。

高部は100手までなら最強です。
最後まで根気が続き、勝負に対する執念があれば、天下をとれたかもしれないとさえ思います。

【高部道平と裨聖会の思い出 7】 雁金準一
 こういう具合から新聞社の選定にかかったが、従来の関係から報知新聞に白羽の矢を立てた。この様な時には高部の巧みな弁舌が最も功を奏する処で、報知新聞社の双手を挙げての快諾となり、他の二、三の新聞社からもその譜の掲載を希望して来るという人気を得た。
 かくて多くの後援者を得て、その名も犬養毅先生の命名により「裨聖会」と称して成立したが、その後色々と迂余曲折があり、例えば一度は賛成した岩佐が方円社との繋りから不参、又野沢も個人的理由で不参となった。
 扨て前記持時間制を設定した動機である小岸壮二の長考というのは、当時としては類のないもので、同氏と対局すれば必ず五日から一週間は掛り、しかも徹夜を辞せぬというのが通例である。勿論持時間がないのだから、いくら長考しても構わぬとは言うものの、新聞社から出る対局料は一局幾らと決った額で、それも今日とは異なり、洵に少額だったので、家族持ちの棋士は一局で七日間も引張られてはとても耐らず、皆小岸と打つのを嫌っていた。
 一方の小岸は秀哉名人の内弟子だから食生活には何等心配なく、勝つ為には是非とも長考する。これ又当然と言わねばならず、彼との対局の棋士が中盤以降余りの長さにイライラして勝碁を逸する事が屡々あった。
 これが時間制の取られる一因となった事は、時代の要求する処とはいえ面白い事である。
ラベル:高部 雁金 裨聖会
posted by 時代 at 22:31| Comment(0) | 裨聖会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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