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2014年01月30日

中川亀三郎13

『秀栄全集』 〈明治9年8月22日〉

先 林 秀栄
   中川亀三郎

172手 白2目勝










白6と二間トビだけして他に回る手は、この頃から流行し始めました。
白34まで、白番らしく盤面を広く使っています。
白60となり、白有望と思われます。
以下とくに勝負所もないまま、白があっさり押し切りました。
前局から5年が経っていますが、秀栄は依然として先でなかなか勝てません。

【中川亀三郎の思い出2】
乃公のまだ本因坊の処に書生をして居る時分は、村瀬秀甫が塾頭でなナ、此方は内弟子のことだから、随分苦しい思いをさせられたものだが、中川君は丈和名人の息子さんというので、師匠の家族と同じ待遇を受けたものだ、それが浦山しかったよ、併し教室では誰彼の区別はない、皆同じで……。
 一体、中川君の碁というと如何にも弱い至って非力の碁でナ、まるで婦女子同然な、悪くいえば意気地のない碁で、これが後に、準名人になろうとは、誰も夢にも思わなかったのヨ、師匠も見込がないと諦めて居った位で、勿論我々も実は内心では馬鹿にしていた方だったのサ、それが中年−二十五、六、そうさ秀策の歿くなった時分から、俄に碁の風が一変して、手のつけられない腕力家になったのだ、
posted by 時代 at 19:45| Comment(0) | 中川亀三郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月29日

中川亀三郎12

『秀栄全集』 (明治4年8月23日)

先 林 秀栄
   中川亀三郎

200手 白中押勝










前局の翌日に打たれています。
白10は面白い趣向です。
さらに白18〜24と白番らしい打ち方です。
黒37以下の進行は、上辺の黒が薄く黒苦戦と思われます。
当然ながら白58のキリが厳しい手。
白106と左上を捨てたのが好判断でした。
白118・120も巧妙なサバキで、白の独壇場です。
白142が決め手です。

亀三郎のよい所ばかりが出た会心譜でした。
秀栄は2日連続で完膚無きまでに叩きのめされ、ショックだったことでしょう。

亀三郎について、巖崎健造による以下の文章があります。
各書に引用されることもありますが、要点のみを書き直したものが多いです。
味のある名文ですので、ぜひ原文のままお楽しみください。

【中川亀三郎の思い出1】 巖崎健造 (『囲棋世界』第1巻第4号/『明治碁譜』より)
 故中川君の逸話? 今ダシヌケにそういわれても困るネ、それァ中川君の若い事分からの事を知ってるものは乃公の外にはないだろうが、今一寸浮ばないネ、御承知の通り中川君は丈和名人の末子であるが、乃父さんが喪くなったのはタシカ十一かの時で、碁を始めたのはそれからモッと経ってからだ、姉さんが秀策の妻君だッたから、乃父さんの喪くなられてからは、大分其方の世話になったそうだ、乃公も其時分から本因坊の書生で、中川君には五ッ違いの弟で、ナニ乃公は安井の弟子じゃないかって?、それはネ、元来本因坊の弟子であったのだが、師匠が取替っこをしたので、それで安井の弟子となることになったのサ、何のことはない角海老の主人と大文字の主人が、お前のトコの薄雲と乃公のトコの勝山を取替えようじやないかてなわけで、師匠の方から鞍替を申附けられたのサ、
posted by 時代 at 16:27| Comment(0) | 中川亀三郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月28日

中川亀三郎11

『秀栄全集』 (明治4年8月22日)

先 林 秀栄
   中川亀三郎

182手 白中押勝










本局も大斜で、白16のノビは当時の最新形です。
亀三郎は当時、毎局のように大斜を試しています。研究もさることながら、棋風に合っていたのでしょう。
この型は白24のキカシが気分よく、白打てると判断されていたようです。
白32から、左下隅を空けたままの戦いが続きます。
黒85はコウをやってこいという勝負手です。
以下、おたがいに損コウの打ち合いです。
結局、黒113までの分かれとなりました。右下の利益は大きいようですが、白114・116が厳しく、黒よしとはいえません。
白164以下、絶妙な荒らしで勝負を決めました。

20代前半の秀栄は亀三郎にうまく行きませんでした。
秀栄五段、亀三郎六段で一段差ながら定先です。本局の後、明治11年まで実に7年間も手合いを直せないままでした。
posted by 時代 at 22:34| Comment(0) | 中川亀三郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

中川亀三郎10

『明治碁譜』 〈明治3年2月21日〉

   中川亀三郎
先 小林鉄次郎

114手 白8目勝










幕末から大斜が多く打たれるようになり、研究が進みました。
白22までの上ツギの基本定石は、当時としては珍しい型です。
黒49は当然に見えて、少し打ちすぎだったかもしれません。
白66が厳しく、白ペースです。
黒79まで左方は黒好形ですが、上辺の黒の眼がはっきりしません。
最終白114の時点では白よさそうですが、8目も違うようには思えません。この後に変化があったのかもしれません。

明治2年から4年にかけての亀三郎−鉄次郎戦は、鉄次郎の5勝1敗1ジゴという結果になりました。
posted by 時代 at 21:35| Comment(0) | 中川亀三郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月26日

中川亀三郎9

『明治碁譜』 〈明治2年8月13日〉

   中川亀三郎
先 小林鉄次郎

175手 黒4目勝










亀三郎は明治2年から六人会を始めました。
メンバーは、亀三郎・本因坊秀悦・林秀栄・安井算英・小林鉄次郎・吉田半十郎です。
この棋譜はほとんど手元にありせんが、『明治碁譜』より六人会時代の鉄次郎戦を紹介します。
鉄次郎は二十二歳・四段で、手合は先です。本局が番碁の初番です。

白34・36のデギリから戦いになりました。
黒73で一段落、黒悪くないでしょう。なお白70はいやな感じです。
黒75キリ、さらに黒83と動いたのが厳しい手でした。白70をとがめています。
黒87から押しつけては黒優勢です。

厚みで押し切った鉄次郎の好局ですが、亀三郎の特徴もよく出た碁です。
posted by 時代 at 12:57| Comment(0) | 中川亀三郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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