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2013年09月18日

黒田俊節20

『明治碁譜』(『囲棋新報』9集) 〈明治12年12月14日, 於方円社〉

    黒田 俊節
先番 野村 季友

114手 白8目勝










野村季友は安井算知門下で五段です。

黒21はH4コスミがふつうでしょう。
黒35はQ10にカタツキしたいところです。
逆に白52カタツキが好点でした。
以下、おたがいにぎこちない石運びですが、白98までつながっては白勝ちです。

本局の勝利を土産に、俊節は大阪に帰りました。
その後は関西から方円社を支援しましたが、5年後の明治17年、46歳で亡くなりました。
俊節の棋士人生は実質的に明治10年から12年までのわずか2年間でしたが、歴史に確かに名を残した生き様は見事と言うよりありません。
私事ですが、私は現在、俊節が一念発起して上京した時と同い歳です。
今からでもけっして遅くないと、俊節師が棋譜を通して語りかけてくれている気がします。
posted by 時代 at 21:28| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月17日

黒田俊節19

『明治碁譜』(『囲棋新報』8集) 〈明治12年11月16日, 於方円社〉

    黒田 俊節
先番 酒井安次郎

177手 黒中押勝










酒井安次郎は方円社四天王の一人で、当時は29歳五段です。惜しくも4年後に夭折しました。

黒15は江戸時代はコスミが定石でしたが、明治になってこのケイマがよいということになりました。
黒23まで手筋書でおなじみの形ですが、実戦で打たれるのは珍しいでしょう。
白24・26はつまらなかったかもしれません。
黒47は52(Q12)がよいとの評です。『囲棋新報』の評には秀甫の意見が大きく反映されていると思われますが、このように高く打つ感覚は清新です。
白58打ちこみから、黒は利かされを嫌って思い切った変化になりました。
黒79まで先手で処理して黒優勢です。
白104・106のコウダテに対し、黒107が好手でした。白は続けて打つよりありませんが、黒は上辺をすべて処分して黒133に回り、勝勢を確立しました。
さすがの切れ味で、安次郎の快勝譜です。
posted by 時代 at 12:57| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月16日

黒田俊節18

『明治碁譜』(『囲棋新報』7集) 〈明治12年10月19日, 於方円社〉

    中川亀三郎
先番 黒田 俊節

222手 白2目勝










俊節はその後も明治12年いっぱい東京に残り、対局を重ねています。

この時期、ハサミに対する二間トビが流行していました。
白32・34のデギリから、はっきりしない戦いです。
白38は単に40がよかったとの評です。
白68まで黒成功したようには見えませんが、先なのでまだこれからの碁でしょう。
黒127は128が大きかったようです。
中盤以降、難しいヨセ合いが延々と続きましたが、白が余しました。

両者は本局に先立つ5月にも対戦して、やはり白番亀三郎の中押勝です。
亀三郎は秀甫に一方的にやられているイメージが強く、勝局が取り上げられる機会が非常に少ないのですが、俊節クラスの棋士にはきっちり結果を残しています。
posted by 時代 at 21:12| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

黒田俊節17

『明治碁譜』 〈明治12年9月15日, 於柴原氏〉

   村瀬 秀甫
先 黒田 俊節

172手 白中押勝










俊節−秀甫の第4局です。
3連敗で後のなくなった俊節、初手天元にすべてを託しました。
黒3〜9は、天元を生かそうという意志が感じられます。
右上の大斜は第3局と同じ進行ですが、黒25トビで変わりました。
白52まで黒有望と思います。右上の黒はコウですが、どちらも一手で解消できない形です。
黒53あたりで何か工夫はなかったでしょうか。
黒65以下はどうだったでしょう。左上は荒らしたものの、白82まで軽く消されては形勢を損じました。
黒107・117はさすがの手筋です。
最後、ポッキリ折れた感じで終わりました。冷静に打てばまだ細かいと思いますが、すでに闘志を失っていたのでしょう。
本局は珍しい天元局ですが、敗れたとはいえ、作戦自体はある程度成功していました。過去の安井算哲・南里与兵衛・安井算知(俊哲)などの天元局に比べても、もっともうまくいった1局ではないかと思います。

以上、俊節−秀甫戦は秀甫の4連勝で幕を閉じました。
当初は十番碁の約束だったと思いますが、先二に打ちこむ形になり、先輩相手に二子番を打つというのは、秀甫にとってしのびなかったのでしょう。
この俊節−秀甫戦について、「自信満々の俊節が方円社に挑戦状をたたきつけ、秀甫に先で負けるはずがないと豪語していたが、こてんぱんにやられて意気消沈、すごすごと大阪に帰っていった」というようなストーリーが巷間に流布しています。
そうした話の典拠は知りませんが、私は、それはだいぶ話が脚色されているのではないかと思います。

もし俊節が道場破り的に方円社に挑戦したというのであれば、方円社側としてもまずは小林鉄次郎あたりと対戦させ、勝ち越せばそこではじめて秀甫、というような段取りになろうかと思います。
初めから秀甫が十番碁を打つというのは、方円社として最高のもてなしです。
また、その合間には、すでに紹介した中村正平・小林鉄次郎をはじめ、中川亀三郎など他のトップ棋士とも対局を重ねています。
方円社と秀甫は、斯界の先輩である俊節の顔を立て、礼を尽くしていることは明らかです。
また、俊節は秀甫に先で負けるはずがないと自信満々だった、というのも非常に怪しいです。
冷静に考えて、俊節は2年前に秀栄に勝ち越したもののほぼ互角であり、その秀栄が秀甫にやっと先を維持しているという状況なのですから、秀甫に先で全勝できるはずがありません。
あるいはプロレス的に、俊節は親しい支援者に対して、本心ではないことをあえて大言壮語して盛り上げていた、ということはあったのかもしれません。
私がこの4局から感じるものは、俊節の秀甫に対する畏敬と感謝の念であって、血みどろの争碁だとか、相手を叩きつぶすだとか、鼻っ柱を折るとかいうものとはおよそほど遠いように思いますが、いかがでしょうか。
posted by 時代 at 15:03| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

黒田俊節16

『囲棋新報』58集 〈明治12年8月2日〉

    小林鉄次郎
先番 黒田 俊節

191手 黒7目勝










方円社の若手筆頭株、小林鉄次郎との一戦です。

白24は軽妙な筋です。
黒45は打ちすぎ、との評です。単に黒49(O10)くらいならば穏やかでした。
黒53に手を抜いて白54が要点です。続いて黒R8にオサエても、白P7の反撃があります。
黒77も打ちすぎかもしれませんが、本局の俊節はのびのびと打っています。
白100は105(F16)の方が難しかったようです。
黒123となって黒の勝勢が確立しました。

本局は、対局から5年後の明治17年、俊節の死去を報じる際に、鉄次郎先番6目勝ちの譜とともに掲載されたものです。
『明治碁譜』に「黒田俊節上京奮戦譜」として11局がまとめられていますが、本局が漏れていることを指摘しておきます。
posted by 時代 at 10:07| Comment(0) | 黒田俊節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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