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2014年03月24日

野澤竹朝7

『萬朝報』碁戦 第88回(坊門勝継) 〈明治41年9月7日〉

   伊藤小太郎 五段
先 野澤 竹朝 四段

97手 黒中押勝










伊藤小太郎は坊門の大長老でした。天保9年生まれで、当時70歳です。

黒33〜39で黒の打ちやすい碁です。
黒41のカカリ一本でスミに生きを残し、黒43・45と押しつけたのがすばらしい感覚でした。我々は黒43で何も考えず受けてしまいそうです。秀哉評は、白42をほとんど敗着としています。
白はともかく右辺に殴りこむよりなかったでしょう。黒73と囲われては大差です。
posted by 時代 at 10:02| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月23日

野澤竹朝6

『萬朝報』碁戦 第83回(坊門勝継) 〈明治41年7月20日〉

互先 先番 野澤 竹朝 四段
        井上 孝平 三段

239手 黒4目勝










野澤は歴史的な勝ち抜き記録を作りました。その初戦です。
この頃は、新聞碁であっても棋士どうしの手合割のまま打たれます。野澤は前年に四段に昇りましたが、一段差ながら三段時代の互先を引き継いでいます。

黒41まで、野澤流のさらさらした展開で好調です。
白の打ち方は渋いです。これで勝てればよいのですが。
黒73と戦機をとらえました。ここから一気に碁を決めます。
黒101まで中央をまとめました。
白108は109が大きく、また白110はH18でした。黒111が成立してはっきりしました。
ラベル:野澤 井上 萬朝報
posted by 時代 at 11:56| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

野澤竹朝5

『萬朝報』碁戦 第42回(臨時手合) 〈明治40年2月27日〉

   廣瀬平治郎 五段
先 野澤 竹朝 三段

119手 黒中押勝










この時代は『萬朝報』に限らず、坊門と方円社の交流戦はほとんどありませんが、ときどき「臨時手合」と称して対局が組まれました。
廣瀬は27歳で初段となった晩学の棋士で、後に方円社社長を務め、準名人に昇っています。
『萬朝報』では、坊門の対局は本因坊秀栄(後に秀元・秀哉)、方円社の対局は巖崎健造が詳細な解説をつけていますが、交流手合については解説なしです。

白8まで、なんとも珍しい方向の総ジマリです。ふつうに考えれば、コミなしでは白が面白くない布石に思います。
白26・黒27はおたがいに一歩も譲れません。
黒31からシボリを決め、黒35以下押し切ったのが実に思い切った打ち方です。
さらに中央四子も捨て、黒47まで黒簡明です。わかっていても、もったいなくてなかなかこう打てるものではありません。
以下、まったく紛れる余地なく黒の完勝です。
ラベル:野澤 廣瀬 萬朝報
posted by 時代 at 08:17| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月21日

野澤竹朝4

『萬朝報』碁戦 第38回(坊門勝継) 〈明治40年1月5日〉

   雁金 準一 五段
先 野澤 竹朝 三段

212手 白中押勝










5人目に雁金を迎えました。
左上は現在と同じ両ガカリ定石です。白はスミをオサえず、白38・42と趣向しました。
「黒43思違なるべし」とあります。ふつうに黒44アテがよかったようです。
黒53まで、すごいところをヌイたものの、白54に回られ地合は予断を許しません。
「白74は三子の黒に尚味を存せしめて面白からず。85(B13)に獲得せざるべからず」との評は参考になります。
黒79に受けてはいられませんが、数子の生還を許してしまいました。
黒105が打ちすぎで、左辺を地にしていれば優勢でした。黒109もいやな手で、にわかに形勢混沌です。
黒131でO6に連絡すれば無事ですが、勝負に出ました。
黒151が敗着で、S12キリがよかったとの評です。同じように進行したとき、実戦は黒151が一手損の持ちこみになっています。

雁金は野澤の2歳上で、同じ坊門でもあるので生涯のライバルになってもおかしくありませんでしたが、本局の直後に秀栄が急死、跡継ぎ問題で大混乱となり、雁金は野に下ることになります。
両者はその後あまり交流はなく、十数年を経て棋正社で再会しともに日本棋院と戦うも、ほどなく野澤は亡くなりました。
したがって、両者の対戦は本局がほぼ最後と思われます。
本局からもうかがえるように、雁金と野澤は棋風も対照的で、実に興味深い組み合わせです。雁金−野澤戦の機会が失われてしまったのは残念なことです。
ラベル:野澤 雁金 萬朝報
posted by 時代 at 10:49| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

野澤竹朝3

『萬朝報』碁戦 第36回(坊門勝継) 〈明治39年12月9日〉

   田村 保寿 七段
二子 野澤 竹朝 三段

261手 黒3目勝




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関に続いて伊藤源次郎四段・伊澤厳吉三段を下しての4人目です。
野澤は明治14年生まれで25歳、保寿は7つ年上で32歳です。秀栄は翌明治40年に亡くなりました。

秀栄は、ごくふつうに見える黒6、黒16を批判しています。黒6は左辺星下、黒16はツケて戦うべきとのことです。
黒24まで、白5カカリの方向が悪くなり、これで黒十分に思えます。
黒26は何となく野澤らしい手です。
黒46は、秀栄評によればとんでもないそっぽとのことですが、要点を打って右辺をシノゲば黒わかりやすい展開でしょう。
黒は一貫して手堅く逃げ切ろうという態度です。
白165で168(E4)の逆ヨセを打てば形勢不明とありますが、細かくなっても黒残ると思います。
さすがの保寿も、野澤の2子は難しいでしょう。
ラベル:野澤 秀哉 萬朝報
posted by 時代 at 17:45| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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