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2014年03月19日

野澤竹朝2

『萬朝報』碁戦 第30回(坊門勝継) 〈明治39年10月11日〉

           関 源吉   四段
先先先 先番 野澤 竹朝  三段

121手 黒中押勝










『萬朝報』の新聞碁は明治38年末にスタートしました。
「坊門勝継」「社派採点」(すぐに「社派勝継」)の二本立てで、本因坊門と方円社の棋譜が交互に掲載されました。
坊門と方円社の交流戦はほとんどありません。一昔前のセ・リーグとパ・リーグのようなものです。

関源吉は小林鍵太郎・田村保寿・都谷森逸郎を抜き4人目です。
白14まで、いかにも明治後半の趣です。
黒15・17は意表ですが、有力に思います。秀栄評では白14を批判し、R8にツメるべきとしています。
白22も「甚だ緩し」で、H4カケがよいとのことです。
黒27から黒33・35が野澤らしい大局観のすぐれた手で、無理なく全局を制しました。
自然な打ち回しで黒快勝です。

本局の秀栄評は30行ほどもありますが、なんと黒35(!)で打ち切られ、以下白は「施す策なし」とのことです。
白番で序盤に緩い手を2、3打ったら即勝負あり、という厳しさは、意外と現代の国際戦に通じるものがあります。
日本流の緩い碁を脱却するためには、いっそコミなし碁を復活させてみてはどうですか。
国際戦に出る棋士は、リーグ入りクラスの棋士相手にコミなしの白番を打ちまくれば、多少は勝負の厳しさが身につくかもしれません。
タグ: 野澤 萬朝報
posted by 時代 at 15:07| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

野澤竹朝1

時代は一気に下り、野澤竹朝です。
野澤は、毒舌や奇行(?)の逸話で知名度は高いものの、棋譜が紹介されることはまれです。
毒舌家ということから、何となく梶原武雄のような碁をイメージするかもしれませんが、実はまったく違います。
足早にさらさらと打つタイプで、前に裨聖会で紹介した高部道平とも少し似ています。
棋風の点では、師である本因坊秀栄の影響をもっとも強く受けた弟子の一人でしょう。

野澤に限らず、明治後期〜大正期の棋譜は入手しづらいです。私の手元にもあまりありません。
今回は『萬朝報』紙の棋譜をまとめた『現今名家碁戦』(一・二)から紹介します。他に坊門内での対局や『時事新報』などの手合もありますので、けっして野澤の代表局を網羅しているわけではないことをお断りします。


『萬朝報』碁戦 第11回(坊門勝継) 〈明治39年3月29日〉

先番 野澤 竹朝  三段
互先 都谷森逸郎 三段

209手 黒中押勝










『萬朝報』での野澤初登場の局です。
相手の都谷森はよく知りません。前戦で田村保寿に二子で勝ち、勝抜者となっています。

何気ないですが、黒19で白20を強制し、黒21に先行するのが野澤一流の足早な布石です。
白24〜28はどうでしょうか。『萬朝報』紙上には本因坊秀栄の詳細な講評がありますが、「急にして悪し」とあります。
白40から固めて白50に回ったのもいかがなもの。白番で頑張る必要があるとはいえ、こういう打ち方ではなかなか勝てないでしょう。
黒57以下、さらに黒65〜71が落ち着きはらった好手です。黒77、黒89など、先番の模範的な打ち回しです。白は方々が薄く、どうにもなりません。
貯めていた力を黒99で爆発させ、黒の一方的な勝利です。

秀栄の総評
「本局は白の手段忽忙急劇に過ぎ、満局に至らずして既に敗兆を現はし、又収拾すべからざるに至れり」

都谷森には不本意な一局でしょうが、失礼ながらその素人ぽい打ち方には、親近感を感じないでもありません。
野澤は新勝抜者となりましたが、次局で伊澤厳吉三段の向先に敗れました。
posted by 時代 at 16:35| Comment(0) | 野澤竹朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月17日

算碩4

『古碁枢機」

   算碩
先 仙澄

284手 ジゴ










算碩にはもう一局、仙澄との棋譜があります。

黒1〜5も江戸初期によく見られる定石です。ブツカリやハサミツケでなく、黒5のハサミに趣があります。またいつか流行するかもしれません。
白28コスミも算砂の碁にあります。
白20、36の着点は面白いです。
白54のような軽妙な手が算碩の棋風のようです。
白76はこう打ちたくなりますが、黒77が厳しい手。黒が主導権を握りました。
黒129に回って黒逃げ切れそうです。
白150が勝負手。白128まで中央を地にしてにわかに細碁です。
小ヨセは双方に疑問点があるように思われます。

本局は謎の棋譜です。
第一に、仙澄なる人物が何者か、まったく不明です。しかも仙澄の碁はこの一局のみです。
第二に、本局は終局までの棋譜が残されています。
算碩−朴入戦からもわかる通り、算砂から道碩時代までの打碁は、そのほとんどが150手前後までで終わっています。
無名である仙澄の碁が1局だけ伝わり、しかも終局まで残されているというのは、唐突で不自然な感じがします。
あるいは仙澄も誰かの別名でしょうか。たとえば若き日の算悦とか。

以上、4局のみですが、珍しい算碩の碁を紹介しました。
時代的には、算砂や利玄、道碩戦などがあっても不思議ではありません。見てみたいですね。
posted by 時代 at 15:54| Comment(0) | 算碩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

算碩3

『古碁枢機』 

     算碩
先 林 朴入

124手 白勝










白22と大きく構え、意欲的な布石です。
白46は面白い手。
白56は気がつかない妙手です。
白76・78を決めてから白80はやわらかい手。
黒89の鋭い攻めに対し、白90以下のサバキが絶妙です。シノぐどころか、左辺が白っぽくなりました。

算碩−朴入戦は以上の3局ですべてです。
さて、朴入=門入斎説の根拠として、

1.朴入は利玄・道碩に先の手合で六段程度だが、当時六段の棋士は数えるほどであり、外家とは思えない。
2.利玄・道碩との関係や年齢差から、家元内では門入斎が有力候補。
3.「林門入」名の棋譜は、『碁経連珠』に道碩戦が1局あるのみ。門入斎ほどの実力で1局しか棋譜が残されていないのは不自然。
4.そもそも、姓が「林」である。

といった点が挙げられます。
以上を総合的に考えれば、門入斎説は妥当と思われますが、疑問点もあります。

1.『碁経連珠』に「朴入は師・段位共に知れず」という注記がある。
2.言われてみれば「朴入=門入斎」はきわめて自然であるにもかかわらず、江戸時代からずっと「朴入は何者か不明」とされてきた。1の注記も含めて考えれば、とりもなおさず「朴入≠門入斎」ということではなかろうか。
3.『碁経連珠』には道碩−門入戦と道碩−朴入戦が並べて掲載されている。ところが、前者では門入が右に記載されている(門入−道碩)のに対し、後者は朴入が左に記載されている(道碩−朴入)。

林裕氏以来、朴入=門入斎説は結論が出ている雰囲気でしたが、今回改めて考えてみて、まだ確定的には言えないように思いました。
posted by 時代 at 13:17| Comment(0) | 算碩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月15日

算碩2

『古碁枢機』 

     算碩
先 林 朴入

157手 黒勝










相手の「林朴入」もよくわからない人物です。
林家四世に「朴入門入」という人物がいますが、時代が合わず別人です。
林裕氏は、朴入は一世林門入斎であろうと推定し、現在ではほぼ定説となっています。

黒25まで、江戸初期の大流行布石です。ほぼ同じ布石の碁が少なくとも10局はあります。
余談ですが「算砂時代は布石や定石が確立していなかった」というようなことを言う人がいますが、誤りです。算砂時代には算砂時代の布石があります。
黒31カケはピンときませんが、黒39〜43は驚きです。こうなってみれば、なるほどです。
黒63まで、黒うまくさばいたでしょう。
黒65以下の攻めも間然するところがありません。
黒87〜91が本局のハイライト。この3手は見事です。
以下は黒完璧な収束です。

朴入は、他に利玄や道碩戦など計20局ほどが残されています。本局は朴入生涯の一局かもしれません。
posted by 時代 at 09:57| Comment(0) | 算碩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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